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遺産と文化

最終更新日:
堤土塁跡歴史公園 つつみどるいあとれきしこうえん (佐賀県史跡)
上峰町大字堤2367-2ほか

町北部に位置し土塁が作られた時期は7~8世紀と考えられています。築造方法は、粘土、砂混じりの土、黒い土を交互に積み上げたたき締めて作られており、これは強固な基盤を作ることができる版築という工法です。 目的としては、当時の農業用水を蓄える灌漑施設説、大宰府などの防衛施設、又は古代の道路ではないかという説があり結論はでていません。

写真:堤土塁跡歴史公園1写真:堤土塁跡歴史公園2

都紀女加王墓 つきめかおうぼ
上峰町大字坊所1570-16

写真:都紀女加王墓全長50mの前方後円墳で目達原古墳群の古墳の中では一番古い形式の古墳です。葬られているといわれている都紀女加王は応神天皇の皇子、稚野毛二派皇子(わかぬけふたまたのみこ)の孫にあたられます 今日、町の古墳公園となっています。

船石遺跡 ふないしいせき(佐賀県史跡)
上峰町大字堤839

写真:船石遺跡船石遺跡は、船石地区の丘陵地に広がる町内でも有数の大遺跡で縄文時代から中世に及ぶ遺構や遺物が発見されている。船石遺跡のほぼ中央に位置する船石宮天神社境内には、船石の地名の由来となった「船石」はじめ「亀石」、「鼻血石」と呼ばれる巨石が残っている。

八藤丘陵の阿蘇4火砕流堆積物及び埋没林 やとうきゅうりょうのあそ4かさいりゅうたいせきぶつおよびまいぼつりん(天然記念物)
上峰町大字堤字堤2412ほか

圃場整備の工事中に地下約3mの地中から、長さ22m、幹の直径1.5mの巨大な倒木(マツ科トウヒ属、もみの木の一種)が発見された。巨木の周囲にもたくさんの焼け焦げた木々が埋まっていた。これらの木々は、約9万年前の阿蘇4火砕流と呼ばれる北部九州一円を覆い尽くすような大火砕流によりなぎ倒され埋まった当時の森林の跡であった。この資料の一部はふるさと学館に展示されています。

文化財関連電子リーフレットより八藤丘陵の阿蘇4火砕流堆積物及び埋没林に関するパンフレットを御覧いただけます。

写真:発見当初No1巨木_西から写真:No1巨木と周辺の炭化樹木群
写真:9万年前の地表面下部の樹根写真:巨木と周辺の炭化樹木群2.jpg

江迎城跡 えむかえじょうあと
上峰町大字堤字江迎1232 

江迎から八枚にかけてのクリークは、中世の環濠集落の跡で、江迎城とこれを中心に発達した一ノ橋の集落跡である。圃場整備以前には、壕割で区画された「島屋敷」が残っていた。現在は、江迎の中ノ島を中心とする一部に昔の姿をとどめている。

写真:江迎城跡3写真:江迎城跡4
写真:江迎城跡2写真:江迎城跡1

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